こんにちは。今回は、佐久間地区にあるJR飯田線の駅を紹介します。佐久間地区には飯田線の駅が9つあり、それぞれの駅名は下記のようになっています。出馬(いづんま)、上市場、浦川、早瀬(はやせ)、下川合、中部天竜、佐久間、相月、城西
この中で、ワイドビュー伊那路という特急電車が止まるのは中部天竜駅のみです。2021年6月現在、上下線ともに1日、2本が運行しています。ワイドビュー伊那路1号、3号は飯田駅行、2号、4号は豊橋駅行となっています。
これから、佐久間地区にあるそれぞれの駅を紹介していこうと思います。
出馬(いづんま)駅
駅舎はなく、ホームに待合室があります。
上市場(かみいちば)駅
駅舎はないですが、ホームにベンチがあり、電車を待つのに便利です。
浦川(うらかわ)駅
現在は単線となっていますが、駅舎があります。
また、駅舎を出ると、「鮎と歌舞伎の里うらかわ」 という看板があります。
鮎は浦川地区に流れる大千瀬川や相川で鮎が取れるからです。2021年は6月5日に浦川地区で鮎の友釣りが解禁しました。浦川地区の鮎釣りに関しては、こちらの記事をご参照ください。
歌舞伎の里と書かれているのは、江戸時代の末期、安政年間に歌舞伎役者の尾上栄三郎が浦川で歌舞伎を上演したことに由来します。簡潔にまとめると下記のような経緯で、浦川に歌舞伎が伝わりました。
<浦川歌舞伎の発祥と起源> 幕末安政年間、江戸の火災で小屋を失った音羽屋(尾上菊五郎)一門の尾上栄三郎が一座を率いて東海道を巡る地方巡業に出ました。三州吉田(現在の豊橋)から信州に向かい各地で上演したのですが、現在の長野県の飯田市で発病してしまいました。栄三郎は遠州裏鹿(現在の浦川地区)に蘭学の名医、三輪見竜がいることを聞き、天竜川を下って裏鹿に着きましたが、その時にはすでに病気が全身を蝕んでいました。 三輪と村人の看病の甲斐あって、栄三郎は小康状態となりました。栄三郎は余命を悟り、命あるうちに、お世話になった村人への恩返しと今生の名残に、一世一代の舞台「忠臣蔵5段目、山崎街道」を上演し、「こわ、旅人か」の最後のセリフを言って、舞台の上でこときれたそうです。安政5年4月、栄三郎29歳のことでした。 栄三郎の没後、歌舞伎の魅力を大いに感じた村人たちは毎年役者を呼んで上演してもらっていたそうです。そのうちに、自分たちも演じてみたいと江戸の役者に頼んで教えてもらい、村人による浦川歌舞伎が始まりました。
これが、浦川歌舞伎発祥の起源とされています。
早瀬(はやせ)駅
駅舎はなく、単線でホーム内に待合室があります。
下川合(しもかわい)駅
駅舎はなく、単線でホーム内に待合室があります。
中部天竜(ちゅうぶてんりゅう)駅
佐久間地区では唯一、特急ワイドビュー伊那路が停車する駅です。自動販売機付きの駅舎があります。
ホーム内にも自動販売機があり、佐久間地区では一番大きな駅です。現在、佐久間地区で単線ではなく複数の線路があるのも中部天竜駅のみとなります。
佐久間(さくま)駅
現在は単線となっていますが、使っていない線路が奥に見てています。
浜松市立佐久間図書館の外観写真です。飯田線の佐久間駅の待合所とも繋がっています。
相月(あいづき)駅
駅舎はありません。単線でホーム内に待合所があります。
県道152号線の脇にある階段を上っていくと、相月駅があります。
城西(しろにし)駅
木造の駅舎があります。
ホームからは風情のある町並みが見れます。
以上、佐久間町にある飯田線の駅の紹介でした。佐久間町地区には、有名な撮り鉄スポットもあるそうなので、今度は撮り鉄スポットも特集してみたいと思います。
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