活動地域を知る!佐久間町について

山いき活動

浜松山里いきいき応援隊として活動をさせて頂いている静岡県浜松市天竜区佐久間町について調べてみました。

佐久間町は1956年(昭和31年)に昭和の大合併によって1町3村が合併して誕生し、2005年(平成17年)に浜松市と合併して現在に至ります。町の面積の90%以上が山林でスギ、ヒノキの人工造林が多く、天竜林業の一翼を担う地域として栄えました。水窪地域との境には竜頭山があり、赤石山系の1000m級の山々の間を天竜川、水窪川が峡谷で横断しています。そのため、地域の大半が急峻な山地であり、平地は少ないです。

戦国時代は徳川、今川、武田の勢力の勢力争いに巻き込まれた佐久間ですが、江戸時代には天領に属し、中泉代官の支配下に置かれました。佐久間には、若き日の徳川家康を助けた桶屋さんが出てくる民話などもあります。町には三河、遠州、信州の文化、経済の交流ルートとして秋葉街道が南北に通じており、その街道沿いに高地集落が散在しているという特徴があります。また高遠、伊那各方面からの天竜木材をイカダに組み、下流の鹿島、掛塚方面へ運搬する中継地点としても繁栄してきました。

佐久間町半場地区の町並み

佐久間村と避前村(さけまえむら)佐久間いう地名の由来!?

日本の中世の文書に天野義景の所領として、「遠江国奥山郷避前村」という地名が見られます。この地名の中で、「避前村」は「さけまえむら」と音読みすることができます。天竜川は中部山岳地帯に入り、大きく蛇行を繰り返します。現在の歴史と民話の郷会館(旧佐久間町役場)近くには、「豆こぼし」という岩礁の難所がありました。この「豆こぼし」の上流には、現在の半場集落がありました。上流の信濃から船で下ってきた際に、「豆こぼし」の難所を避ける手前にあった集落を避前村と呼び、この「さけまえむら」が訛って佐久間という呼び方に変わったのではないかという一説があるそうです。天竜川の自然条件、上流からの船舶交通を踏まえた地名伝承の由来として、興味深い一説だと思ったので、紹介させてもらいました。

佐久間町誕生と佐久間ダム

戦後の復興に伴い、予想される電力需要を支えるために建設されたのが佐久間ダムです。当時は日本最大規模を誇るスケールで、着工からわずが3年で完成しました。佐久間ダムに関しては、こちらの記事をお読みください。

【 佐久間ダム 】浜松市天竜区佐久間町の撮影スポット
新緑の時期や紅葉の時期に多くの方が訪れる「 佐久間ダム 」は、浜松市天竜区佐久間町を代表する名所です。ダム建設によってできた人工的な湖の「佐久間湖」は日本のダム湖100選にも選出されています。佐久間湖1990年には、世界的...

そのダムの完成と時を同じくして、1956年(昭和31年)の秋に1町3村(浦川町、佐久間村、山香村、城西村)が合併して佐久間町が誕生しました。佐久間町誕生の翌年(1957年)には、昭和天皇、皇后陛下が佐久間ダムと発電所を行幸されています。地元の方に伺うと、1950年代や1960年代初頭には海外からも佐久間ダムの視察に来るVIPがいたそうです。当時は小学生だったので、視察団体が来る度に佐久間市街地で歓迎の旗を振った記憶があるということでした。この時代に教育拠点として佐久間高校の開校や、医療拠点として佐久間病院が開業しています。

浜松湖北高校佐久間分校(旧佐久間高校)
佐久間病院

佐久間町は1町3村の合併で誕生したわけですが、それぞれの地域の面積を下の表にまとめました。現在でも各地区や地区内の集落単位で地域の方が集まってイベントやお話をするサロン活動が続いており、地域の方々の交流の場になっています。私もサロンに参加させて頂いたことがありますが、私にとっては佐久間の歴史や昔の暮らしぶりを教えていただく貴重な場でもあります。

浦川地区64.32 ㎢
佐久間地区31.95 ㎢
山香地区42.58 ㎢
城西地区29.68 ㎢
合計168.53 ㎢

佐久間の人口と初代町長の提言

佐久間の人口推移のデータになっていたので、まとめました。1950年と比べると2020年は6分の1くらいに人口が減っています。

1950年(昭和25年)17,607人
1960年(昭和35年)18,858人
1970年(昭和45年)13,213人
1980年(昭和55年) 9,729人
1990年(平成2年) 7,444人
2000年(平成12年) 6,008人
2010年(平成22年) 4,739人
2020年(令和2年) 3,073人

もっと詳しいデータは浜松市が出しているものを参照してください。

町字別・年齢別人口表

昭和から平成にかけて佐久間町には49年間の中で5代4名の方が町長をされています。初代と3代の町長を務めた北井三子夫(きたい さこお)さんは、1980年に静岡新聞に以下のような寄稿をしていますので、紹介します。

「佐久間町の人口はさらに減り、過疎化は一層進むだろう。しかし、それを最小限に食い止める努力が必要だ。工場誘致も必要であるが、基本的な心構えとしては、都会にないもの、あるいはすでに失われたもの、この山の町にしかないものを大切にして活用することを基本とした地域発展策を立てることから始めなければいけないと思う。」

1980年 静岡新聞より

深い山々と人々の生活のエリアがあり、その緩衝地帯である里山は日本の原風景とも言えます。佐久間に住んで1ヶ月になりますが、天竜川と森林が絶妙に溶け込んだ景観は佐久間の魅力の1つではないかと思います。佐久間町に住んでみて、僕が感じたことは、また改めて記事にしようと思います。

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