新緑の時期や紅葉の時期に多くの方が訪れる「 佐久間ダム 」は、浜松市天竜区佐久間町を代表する名所です。ダム建設によってできた人工的な湖の「佐久間湖」は日本のダム湖100選にも選出されています。
1990年には、世界的に有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が佐久間ダムの自然を生かした音響と雰囲気の中でのダムコンサートを開催したこともあります。
「 佐久間ダム 」建設の歴史
佐久間ダムの歴史は、日本が高度成長期に差し掛かる少し手前の1953年に始まります。戦後の復興に伴い予想される電力需要を支えるために建設されたのが、佐久間ダムです。高さ155.5m、総貯水容量3億2,685万トン、最大出力35万kwというサイズ感は、当時は日本で最大規模を誇るスケールで、着工から3年後の1956年(昭和31年)に完成しました。わずか3年という短期間でダムが完成したのは、延べ300万人の労働力を投じたことや、360億円余りの工費をかけたこと、建設にダンプカー、パワーショベル、ドリルジャンボといった当時は日本国内では生産されていない重機を使ったからです。こうした、アメリカから導入した近代工法は日本の土木技術と建設機械工業に多大な技術革新をもたらしました。
地元の方から聞いた話ですが、佐久間ダム建設中はアメリカ人が佐久間に住んでダム建設の技術指導を行っていたそうです。当時の佐久間は、冬には雪が20cm程度積もることもあったそうで、休みの日には、アメリカ人と雪合戦をして遊んだ記憶も残っているとのことでした。
こうした日本の土木史の金字塔とも言える功績を残した佐久間ダムですが、その裏では96名の方がダム建設中における労働災害で亡くなっています。さくま電力館の傍には慰霊碑が建立されています。
佐久間ダムと佐久間町
ダム建設は佐久間町誕生の推進力にもなったそうです。浜松市と合併する前の旧佐久間町は、佐久間ダム完成と同じ1956年(昭和31年)に誕生しました。完成翌年の1957年(昭和32年)には、昭和天皇、皇后陛下が佐久間ダムと発電所を行幸されました。沿道は町内外から歓迎者で埋め尽くされ、まさに成長していく日本の産業とそれを支える佐久間ダムを象徴するような出来事として捉えられています。佐久間町が全国から注目を浴びた歴史の一コマですね。佐久間町誕生によって、医療拠点の佐久間病院や教育の核、佐久間高校(現、浜松湖北高校佐久間分校)も出来ました。佐久間町は、当時は県下有数の観光地としても時代の脚光を浴び、それまでの山村を変貌させたそうです。
佐久間ダムに来たら、このダムを囲む自然を眺めながら、人々の暮らしとダムとの関わりについて想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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